<プロフィール> ロンドン在住 シェフ&料理研究家 レッドランド典子
日本で調理師免許を取得したのち、渡英。日本食のレストランを中心に働き、海外では名の知れた高級日本食店、Nobuの寿司カウンターシェフも務める。妊娠&出産後、子育てに専念することを決意し、12年間の専業主婦時代を送る。
現在は、日系鮮魚店で週末パートをしながら、Noharaとして、ケイタリング、季節のイギリス野菜をメインに使った寿司ランチを作り、月一の教会でのカフェに出店。
今後は、畑で育てた野菜やハーブもを使用しランチボックスに使うこと、おにぎり作りを通してお米についての食育も子ども達に伝えていきたいと意欲を燃やしている。
典子さんはロンドン郊外にお住まいですが、日本から海外へ移住されることになったきっかけを教えてください。
20代前半に、海外に興味があって英語を勉強していたのですが、その時の職場の上司の息子さんがアメリカに留学されていて色々と情報を教えてくれたんです。その頃、語学留学とかもちょうど流行ってたし、その時の仕事(金融関係)が全然好きじゃなくて逃げ出したかったのもあって、旅行センターを通じて短期留学を申し込みました。ロンドンにした理由は、尊敬していた人がビートルズ好きでイギリスのことを聞いて興味が湧いたのと、イギリスは島国繋がりなのでなんとなく安心かな、と思って。その時は4ヶ月間留学しました。
ロンドンでは、パブとかでも、歳とか性別とか関係なく、みんな個性的で混ざって楽しんでいて「こうしないといけない。」という感じがないのが気に入りました。それに、ホームステイ先の家族の宗教の違いにもびっくり。そこですでにかなりのカルチャーショックを受けました。でも、言葉が通じない部分もありつつも、心の底で通じるところとか安心する部分もあり、「人間はみんな一緒なんだな。」と感じることもあって「行けるんちゃう?!」と思ったのが、移住を目指す最初のきっかけでした。
その時、一緒にホームステイしたフランス人の子がいたのですが、自分が良かれと思ったりしたことが逆効果になって怒られたりしながらも、その後もフランスに呼んでくれるような関係になれて、そんなオープンでフラットで、暖かい人間関係が築ける環境も日本と違って素敵だな、こんなふうに生きたいな、と思ったのも理由の一つではあります。
でも、他の友達がビザで悩んだりしていたのを見ていたので、「移住するなら、ちゃんとしたビザを持ってきたいな…」とも感じていました。ワーホリで、すぐに行けることは行けたんですけど、VISAの期限に怯えてコソコソ、ビクビクするのはストレスでいやだな、と思ったし。
でも、実際にそこからワークパーミットを取るのには、すごく時間がかかってしまったんです。24歳で短期留学から戻りましたが、フリーターで働いていることを親に反対され、リゾートホテルに就職し、ロンドンに近づく為に、大阪市の給食業務の仕事に就き、保育所で働いていました。その頃も移住を目指して語学学校に通っていたのですが、その時に出会った友人がシェフをしていて、調理師学校に直接海外の求人募集が来ることがあると教えてくれたんです。それまでも、カフェやお寿司屋などでバイトをしたり、給食も作っていたけれど、シェフとしての基礎を学びたいと思っていたので、「もうこれしかない!」と思って夜間の調理師学校に通い出しました。2年ほど通っていたのですが、その間に1件だけイギリスから学校に求人が来て、それに応募し、無事に5年間のワークパーミットを32歳で取得することができました。
その頃って、周りも次々結婚していっていたし、家族ともうまく行っておらず、当時付き合っていた彼に振られたりしてすごく孤独だったのもあって、渡英することに一才迷いはありませんでした。残された道はこれしかない、もう後が無い、という感じがして逆に背中を押してくれるパワーになった気がします。
シェフとして有名店でも働かれたご経験がありますが、今は季節のお野菜などを使ったお弁当や仕出し屋さんを始められたんですよね。このメルマガの読者の方にも、年齢とともに変化するライフスタイルの中で「今私ができることはなんだろう?」と悩んでいる方も多いと思います。典子さんは、どうやって今のお仕事にたどり着かれましたか?葛藤や乗り越えてきたことなどあればそれも教えてください。
はっきり言って今が一番大変ですね(苦笑)。でも、どんどんと本当の自分に戻っていっている、その部分は楽しいです!特にここ4〜5年は更年期ということもあって本当に肉体的にも精神的にも大変でした。夫婦間のコミュニケーションにもすれ違いがあって、疲れ果てていましたし。30代で、バリバリがんばれて輝いていたのは体力があってこそだし、子どももいなくて、仕事にもホリデーにも100%自分を費やせるからこそできていたことだったんですよね。
でも、子どもを妊娠してからは、ずっと最前線で現場で働き続けるのは、気力も体力も時間も注ぎ込めなくなってくるわけです。簡単に戻れる、いつか戻れると思っていたけど、自分の中で子どもを最優先する思考から抜け出せなくて。義理母に子どもを預けて何回か仕事に戻ろうとしたんですが、それもなんだか抵抗があって…結局、12年間専業主婦をしていました。結婚して妊娠し、仕事をやめ萎縮してしまって「こんなのは自分じゃない!」って思っていた時期もありましたね。
そして、2018年くらいからやっとパートやケイタリングを掛け持ちしながら、専業主婦から抜け出したんですけど、頑張りすぎて体を壊してしまったんですよね。その時はストレスと思っていたけど、更年期障害のような症状も始まっていたんだと、後から気がつきました。
12年分歳をとっているから当たり前なんですけど、その時は「前はできていたから。」というイメージが抜けていなくて、「自分らしくできないな。」と自信を失ってしまいました。そして、そんな自分を肯定できないし、考え方も守りに入っていて大胆さも欠けていたと思います。
ずっとシェフでやってきてたし、「食で世界と繋がりたい!」と思っているからこそ、どこか外で働くという選択肢でなく、起業して自分のことを精一杯やりたいと思っているんですが…やっぱりたまに「子どもとの時間を犠牲にしていないかな。」とか罪悪感に駆られることはあります。まだまだそれは、自分の中で解決できていないことではあります。
それに、高齢出産からの子育てだったので、自分の更年期障害と子どもの思春期がぶつかっちゃって、なかなか大変な時期です(苦笑)。
体力は確実に衰えているんだけど、私、完璧主義というか負けず嫌いなところもあって、頑張りすぎて体調を壊してしまうということが続いたり、やっぱり最初は収入に繋がらない出費とかもあるので、夫に「君はもうシェフとして起業するのは無理じゃないか。」と言われた時は、本当に辛かったですね。更年期の症状として物忘れも酷すぎて、「本当に起業してやっていけるのか?」って自分の中でも葛藤はあります。
でも、今私、51歳なんですけど、最近父が亡くなったり、普段会えない家族が亡くなっていくのをみると「あ、人って死ぬんだ。」っていう当たり前のことに意識が向いてきて、「自分に残された時間で何をするのか?何をしたいのか?」と、よりお母さんとしてじゃない自分と向き合うようになってきましたね。
更年期障害って、自分の体が自分のものじゃないみたいになっちゃうんですね。女性の体の変化って実際に自分がそうなってみるまで分からないことだと思うんですけど、典子さんは更年期を通じて、価値観の変化などはありましたか?
イギリスに住んでいると、やっぱり現地の人とは体格とか悩みも違うし、情報交換したり共感し合えたりする日本人同士の横のつながりは、より大事にしたいなと思うようにはなりました。なので、すり鉢クラブとか、お茶味クラブとか、自分を含めて日本人女性同士が食を通じて集まれる場所作りをしてお互いを応援しあえたり、ほっこりできたらと思っています。
日本人って、基本的に頑張り屋さんだし、海外で住んでいる人はきっともっとすごく気を張って頑張っていると思うんです。でも、子どもを優先して自分のケアを蔑ろにしたり、頑張りすぎてしまう人も多いのではないかと思います。でも、みんな通る道だし、みんな我慢してるから、みたいな雰囲気で流されてしまうのは違うよな、と思っています。
もちろん、みんな通る道なんだけど、それぞれの大変さとか、悩みとか、辛さとかって、全く同じじゃないので、それを横のつながりを作ることで癒していけたらいいなと思っています。
実は、最近気がついたことがあって、自分がリラックスしている状態でいる時って人に道を聞かれたりとか、周りから話しかけられることが多くなるんですよ。それってなんでだろう?と思ったときに、呼吸が緩んでリラックスしていると周りからも無意識に分かるくらい『自分らしくいられている状態』なんだって気がついたんです。自分らしくいられるためにも、意識して使っていけるスキルってあるんだな、ってそれで気がつきました。
私は昔から冷え性もひどかったんですけど、よく考えてみたら、いろんなことを気にして、緊張して気を張っているから体もこわばるし、だから自分らしくいられていなかったのかも、と思います。もちろん、その緊張感があったからこそ、シェフとしてやってこれた部分はあると思いますが、今また更年期で自分の体と向き合わざるを得なくなった時に、「これからはもっと呼吸を意識して大事にしていこう。」って思っているところです。
典子さんとの出会いは、典子さんのインスタで畑や自然の風景を切り取った何気ないお写真にとても素敵な感性を感じたことからです。自然に対する『愛』とか『尊敬』のようなものを写真の中やお料理にも感じるのですが、自然の中にいる時にどんなふうに感じていますか?
自然の中にいるときは、自然にリラックスできている自分がいます。
呼吸も穏やかだし、自分そのままでいられるな〜、と感じますね。
葉っぱや草は常にそのままの自然でいてくれて、畑に行くと6歳の頃の自分に戻れる気がします。
その自然の中で、思いっきり駆け回って、食べて遊んで…それが自分の自然な状態なんだな、って思えてきます。
野菜や、果樹、ハーブ、雑草だって自分の好きな場所で育つと、とても輝いて見えます。でも、それにさらに手を掛けて育てることで、もっと生き生きとしている姿を見ると、たとえ気分が塞いでいたとしてもどんどんと元気になってきますね!
畑に行くのは、自分をオープンにし、整える手段でもあると思います。
自然とのつながりを感じている時の典子さんは、やっぱり嬉しそうだし、輝いて見えます。では、典子さんは、いつもどんな気持ちでお料理をしているんですか?
料理の醍醐味は、ダイレクトに人に繋がれることかな。営業事務とか、他の職種も経験しましたが、そこでは得られなかった喜びがあって、相手が喜んでくれる顔を直接見られることが私の喜びでもあります。
でも実は、昔は自分がシェフになるとは思っていなかったというのが本音でして…幼い頃から田舎の新鮮で美味しいものを食べていたし、おばあちゃんが畑でお野菜などを育てて美味しいものをたくさん手作りしていたのを見て育ったから、それが当たり前すぎたのかもしれないですね。
調理師免許をとったのは、日本で、カフェのお土産やさんで働いていた時です。単に取れる機会があったから取った、って自分では思っていたのですが…そういえば、ただの冷凍のピラフを出したときにウエイターが空っぽになったお皿を持って帰ってきたのを見て「わお!」って思ったんですよ。食べ物が一つも残っていない真っ白なお皿を見たときの感動は今でもたまに思い出します。
他にも、JAの農業祭でフライドポテトの出店を出したら、飛ぶように売れたっていう経験もありますね!その時に「面白い!」と思ったのを覚えています。
あとは、小さい頃におばあちゃんにお味噌汁を作ってあげたら、「美味しい!」って笑顔で言ってもらった記憶もあって、やっぱり、喜んでもらえるのが嬉しくて作っている部分はあります。
そういう小さな積み重ねがあって、今の私に繋がっているんじゃないかな。
そういった、心がふと動いた経験って見過ごしがちですけど、やっぱり積み重なると大きなモチベーションになりますよね。では、次に、Noharaというブランド名についての思いを聞かせていただけませんか?
山のふもとに、住宅街のそばに、知らない街の片隅にも広がる野原。
もしかしたら、見落として通り過ぎるかもしれないけれど、
そこには、いつも無数の美しい自然(生命)が繋がっていて、日々変化している。
そんなどこにでもある野原のようでありたいという想いからつけた名前です。
誰かが、Nohara と繋がることで、さらに新しい光を作り出すことができたらと思っています。
新しい出会い、ワクワクと笑顔、歓声、一つ一つがスペシャルな時間。
時に、そんなお祭りのような、輝く景色を作っていくのだけど、
それが通り過ぎていくと、いつか、また、自然に戻る。
そんな、いつもそこにあって『帰れる場所』であること。
変化することも内包した『安心の場』であること。
それが、私にとっての『Nohara』かな、と思っています。
これから、お弁当の販売やワークショップを通じてどんなメッセージを伝えていきたいですか?他にやってみたいと思うことはありますか?
やっぱり、ロンドン在住の日本人女性たちが、安心して繋がれる場所を作りたいなと思っています。
最近の挑戦としては、教会のマーケットで、旬のお野菜などを使った手作りのお弁当を販売しています。また、日本人にとって深いつながりのあるお米を通して、子ども達に食の繋がりを伝えたいと思い、お米の育て方を知り、旬の野菜も具に取り入れ、自分の手で楽しくおにぎりを作って食べてみるワークショップを始めました。
実家の和歌山で、曾祖父母の代から続いてきていた農家の営みの中心であった米作りを、父が亡くなり、家族が続けることが出来なくなった今、今度は私がロンドンで引き継ぎ、なんらかの形で出来る事はないか?と考えたことからできたワークショップです。
子どもも成長してきて、今から自分の時間がまた始まるという時期になっていくので、
舵を切ったり棚卸ししながらを繰り返して、さらに自分らしく生きれるようになっていけたらいいな、と思っています。
他のお母さんたちにも、「葛藤中でもいいんだよ。今を楽しまないと。」と伝えてあげたいですね。
海外では同じような仕事をしている先輩とかもなかなかいないので、自分が開拓していかないといけないとか、気負いやプレッシャーもあるうえで、今を楽しみたいです。
昔の自分とのギャップに苦しんでいた時期も長かった私ですが、シェフとしては実績を積めなかったけれど、海外で子育てを100%頑張った自分をやっと認めてあげれるようになったと感じています。シェフとしてバリバリ頑張っていた時の自分にはない経験と、大切な家族が私にはいることが、また自分らしく一歩踏み出すことの大きな励ましになりました。
更年期での体の揺らぎに関しても、やっと私の一部だと思えるようになり、以前のように、男性シェフと同じように働かなくてはならないという思い込みを捨て、自分らしく、今の自分が好きになれる仕事の形を模索していけたらと思えるようになりました。
子育ての後の第二の人生を楽しむ。
そのためには、試行錯誤しながらでも立ち止まらないのがコツなのかな、と思います。
編集後記
夢を追いかけ、海外でシェフとしてバリバリ働いていた30代。 子育てに専念した40代。 そして、また新たに自分の夢に向かって走り始めた50代。
そんな典子さんの姿に、共感される方も多いのではないかと感じます。
このENVITAの記事では、『成功している人』『大活躍している人』を取り上げたいのではありません。
もちろん、海外で自分らしく活躍する人には、何かしら学ぶ価値観や、考えか他、生き方があり、『ウェルネスを体現する人インタビュー』では、そこを言語化することで、読者の皆さんの気づきや学びのきっかけになればと思っています。
でも、それだけではなく、
今はまだそこに向かって、必死で自分と向き合っている人、 そんな過程にあっても、自分らしさから目を逸らさない人、
自分のパッションや夢を諦めず、自分を犠牲にしない人、
そんなプロセスを今今、迷いながらも力強く歩んでいる方達の姿も
同じようにライフスタイルの変化の中で揺らぐ女性たちにお届けしていきたいと思っています。
典子さんは、今その貴重な変化の過程を皆さんに見せてくださっていると思いますし、
そんな典子さんだからこそ、応援したい!と思われる方も多いのではないでしょうか?
ロンドン郊外の方は、実際に典子さんのワークショップに参加したり、 お弁当を購入できますので、ぜひ、自然への愛情がたくさん詰まった
典子さんのお料理を堪能していただきたいと思います。
ENVITA編集部
<ENVITAの最新情報が週に1回メールボックスに届きます> ウェルビーイングに興味があっても、忙しい中で心を休め、
自分のために時間を取る習慣をつけるのはなかなか大変ですよね? そんなウェルビーイングの習慣を身につけ、
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心身を整えるヒントをお届けしていきます。